高校教科の少なさに愕然!

 先日、高校に入学した娘がもう理系とか、文系とか言っているので、何を言っているのかと学校から持ち帰った資料を見て驚いた。
 2年から文系と理系にクラス分けして、それぞれ選択科目を学ばせるらしい。要するに目指す大学の学部に応じて、受験に必要な科目を選択しなければならないらしい。それで3年間に学ぶ科目を見て驚いた。何と偏った少ない科目を学ぶのかと。

 我々の時代には、高校で理科関係と言えば、化学、物理、生物、地学全てを学んだ。社会は、地理、日本史、世界史、政治経済、倫理社会、全てを学んだ。選択科目といえば、体育の柔道か剣道、芸術の美術か音楽か習字だけだった。

 娘の学校では、化学は必修で物理と生物が選択。要するに物理か生物かの2者択一が迫られるのである。娘の高校だけかと思い、会社で聞いて回ったら、どこもそのような状況らしい。

 私は技術屋で後輩の指導にもあたらねばならない。若い者に技術の勉強会を行ったりする。その時に表面上の技術や理論だけでなく、極力高校で習った理科のレベルまで落として原理・原則から教えているつもりなのだが、どうも皆がきょとんとしている事が多い。『これ高校の化学で習っただろ!』と言ってもきょとんとしている。いったい、こいつら高校で何を習って来たんだろうといつも思っていたが、段々分かってきた。

 以前、高校で生物も学んでない医学部生のことが話題になった。確かに現在の物理か生物かの選択を迫られるようでは、当然、生物を学んでいない医学部生が現れるのは制度上、当然ありうる。彼らは、大学入学後に予備校に通って高校生物等を学んだりしていることが話題になった。

 私の会社の仕事でも化学、物理及び生物の知識は必要と考えている。まず、資格を取得するのに高校レベルの化学や物理の知識がないと太刀打ちできない。最近の若い者はどうも知識の幅が狭いと思う。知識欲も低い。原理・原則から考える習性も無い。じっくり考えるのは時代に合わないと考えているのだろうか。

 我々凡人は何でも出来なければならない。技術屋が営業をやるのは当たり前の世界だ。文系も理系も世に出たら無い。文系だの理系だのと言うのは学校の甘い世界だけでの話しなのである。一芸に秀でていれば良いのは、種々の分野でその道のトップテン位の人間にだけ当てはまることである。それ以外の一芸に秀でていない人間は若いうちに何でも出来る基礎を作っておかねばならない。

 日本は技術でしか食っていけない国なのである。その日本の高校生が物理か生物を選択で学ぶようなおかしな状態でよいのか。それも大半の生徒が大学に進学する高校で。昔、共通一次が始まってから大学の授業に着いて来れない生徒が出始めたと大学の教授が言っていた。このようなおかしな制度が始まったのがいつからか知らないが、文部省が教育制度をいじくるたびに日本の教育はおかしくなったと思う。

 何もその辺のパチンコ屋の話ばかりする高校生やカバンの中に化粧品しか入れてない高校生にがり勉させろと言っているのではない。彼らには彼らが学ばねばならないことがあるだろう。

 少なくとも大学と言う名の付くところに行くだけの人間が高校時代に基礎教科を学ばなくてどうするのだ。“人間どう生きるべきか”と言ったことを考える手助けに倫社の授業は役に立ったし、休み時間に級友と激論もした。俺らは若かった。現在の若者が倫社を学ばなくてどうする。哲学者や偉人が世界をどのように認識していたかを学ぶことは意義があることである。愛国心だの小さなことである。人間にとって重要な原理・原則はもっと深いところにあると思う。そのことが分かれば、自ずと愛国心がどうあるべきかも分かるだろう。

 高校を見ていると生徒を締め付けることしか考えていない。締め付けておかないと現在の生徒はおかしな方向に走るのか?だいぶ前に修学旅行中の生徒をナンパしに観光バスを追っかけてくる若者がいて、それに引っかかる生徒がいることを直接、教員から聞いたことがある。まあ、おかしな世の中になった。いや、自然な状態になっているのか?

 ただ、このまま行けば、日本は確実に三流の国に落ちるだろう。三流の国に落ちた方が傲慢さが無くなって良いのかもしれないが。

(2007年6月7日記)

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